最近、古本屋に良く行きます。非常に古い本ですが、戦場カメラマン「橋田信介」さんの
イラクの中心でバカとさけぶを読みました。
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筆者は、イラク戦争取材中に襲撃を受け殺害されています。詳しくはwikipediaを参照してください。
筆者はイラク戦争について、こう表現していました。
横綱であるアメリカと幕下であるイラクが、戦場という土俵に上がる。
しかも、横綱は土俵に上がる幕下力士のマワシまではぎとった。イラクは裸で土俵に上がらねばならぬ。
前代未聞、ネコがねずみをもてあそぶ、二十一世紀タイプの新しい戦争である。
「ネコがねずみをもてあそぶ戦争」と表現するほど、イラクとアメリカの力の差はあったのでしょう。
さらに橋田さんはイラクはパレスチナ化、ベトナム化すると予想していました。
チェンチェンにしろパレスチナにしろアフガンにしろ、やっつけられっぱなしではなくて、けっこうがんばっている奴らがいる。
そういう生き残りが、反米の為にイラクに集まっているんじゃないかという気がするんだ。
話題になったISISなどを見ると、橋田さんの予想は的中したように思います。
実はイラク戦争は、「戦闘終結宣言」に大量の死者がでています。
忘れもしない今年の三月二十五日。ワシの家にアメリカの爆弾が落ちてきた。悲しいかな、その爆弾で一家全て死んでもうた。
一家というのは。ワシの息子夫婦とその子供たち三人だ。三人はワシにとって可愛い孫だった。
七歳の息子、五歳の娘、一番下の娘は生まれたばかりでゆりかごの中に入っていた。
(中略)
ワシは生きる勇気と喜んで死ぬ目的を見つけたのだ。ワシは喜んで世界の皆が言う「自爆テロ」とやらに志願したのだ。
やり方が間違っているのはわかっていますが、もし僕がこの状況なら同じことをしたのかも知れません。
これは「テロリスト」なのでしょうか、それとも「復讐者」なのでしょうか。
当時のアメリカ大統領の「これからもテロリストと闘う」という発言に対してこう書かれています。
どうぞ、闘ってください、テロリストはまだまだたくさんいます。
あなたが落とした爆弾の数だけ、新しく生まれたのですから。
落とした爆弾の数だけテロリストが生まれる。これは間違いないですよね。
爆弾を落とすということは、落とす先の人間の人生を終わらせるという事です。
人間には大小ありますが「つながり」があります。そのつながりを断ち切るわけですから「怨恨」が生まれるのは当たり前でしょう。
橋田さんが若い将校に質問をした場面
橋田さん「今度のブッシュの政策を支持していますか?」
米軍将校「私は反対です」
意外だった。やっぱり、昔の日本の兵隊さんとは違うのだ。今の日本の天下り官僚とは違うのだ。
少なくとも自分は「反対」であるという意思を表明するのだから。
(中略)
日本にも、見えない戦場がある。空隙や砲撃はないのだが、死者の数からいえば、イラクよりはるかに悲惨な戦場なのだ。
そう考えると、戦争国家にも平和国家にも、人間が死ぬリスクはあるのだという結論を出す。戦時下の国でウツ状態に陥ったり、風邪を引くバカはいない。そんなヒマはないのだ。
生き抜くために全力をあげる。戦争国家では、命はかけがえのないものとして大切にされる。平和な社会で生きる日本人は、ヒマだから精神の均衡を失って自殺したり、面白半分に人を殺したりする。
平和国家では逆に命は軽んじられている。
当時の米軍の何割が政策を支持していたのでしょうか。政策に反対ながらも命を落とした米軍の兵士もいた事でしょう。
さらに、平和国家の日本が「死者の数からいえば悲惨な戦場」と書かれています。
戦場の場所が、職場や学校になっているだけで、日本にも戦場はあるのかもしれませんね。
スマートフォンの普及で大人は便利になりましたが、子供にとっては「LINE」のグループチャットは「戦場」なのかも知れないですもんね。
体をはって戦場で「爆弾を落とされる側」からの撮影を続け、メディアが報道しない現実を発信し続けた橋田さんの「イラクの中心でバカとさけぶ」でした。