簡単な事です。「自分の考え」を発信する事で、共感者、反対者が出てきます。
これが簡単そうで難しいんですよね。
ブログのファンというのは「共感者」だと思うんです。
筆者の価値観、思考に強く共感したとき、あなたは「書き手の考え」に興味を持つはずです。
分かりにくいので深掘して考えてみましょう。
筆者の考えに共感者が増える=アンチも増える
「原発稼動は必要か否か」という例で考えてみましょう。
ネット上でも騒がれている原発問題ですが、記事にする場合は相応の知識が必要になります。(※あくまでも例えで僕には原発にかんする知識はありません)
書籍などを読み、あなたは「稼動するべき」と結論を出したとしましょう。
しかし、この結論に対しては賛否両論あるのは間違いないことで、共感者も現れるでしょうが「反対意見」も出ますよね?
反対意見を恐れて自分の主張を濁し、当たり障りのない記事にするのか、それとも「稼動するべき」と発信するのかで、読者の反応には大きな違いが出ます。
この場合、自分の考えを発信すると、共感者、反対者に完全に分かれるでしょう。
この「共感者」こそファンになると思うんです。あなたの考えに共感し、他の問題に対してのあなたの「思考」を知りたいと思うでしょう。
あなたはどう思っているの?
定期読者が知りたいのはここ。
誰も傷付けないように、誰にも当たり障りのないように発信すると、ただの「文章」になります。
読んだ人の100人中100人が共感する意見はほとんどなく、反対意見が出ることは当たり前の事なんです。
「AとBはどちらもメリットがあり、甲乙つけがたいです。後の判断はあなた次第です」
という意見より
「確かにBの意見も分かりますが、私はAだと思います。」
という記事のほうが筆者の考えが反映されますよね。この場合「Bだと思う読者」からは批判されるでしょう。
批判する読者もいるでしょうが、共感する読者も必ず出てきます。
読者が知りたいのは、筆者が何を感じたか、どう思ったかという事です。
自分の「考え」を発信する勇気
自分の考えを発信するという事は、ブログを通じて交流の出来た人、定期的に読んでいる読者などからも反感を買う場合があるでしょう。
先日まで仲良くしていたフォロワーが、急によそよそしくなったりしますw
でも、それをこわがっていたら、いつの間にか「特定の人だけに向けた記事」になると思うんです。
特定の人に気を使って自分の「考え」を濁すより、ズバッと切り込んだ記事のほうが面白いのは当たり前ですもんね。
人間はそれぞれ、育った環境、付き合ってきた人間、その他もろもろで価値観が違います。
意見が全く同じことはありえない事なんです。「自分の意見を発信する」というのは、当たり前のようで意外と出来ない人のほうが多いのでは?
検索上位を狙うあまり、情報をつめ込む事だけを考え「筆者の思考」が入ってない記事を書いていませんか?
ファンを獲得することはリスクが必要です。